初期メンバー 2022.3.21

初期メンバー

はなまるリビングを創立したのが、平成21年5月1日

初期メンバーは、俺31歳 小野寺53歳 高橋40歳 上田38歳 の4人でスタートした。

僕が独立し、はなまるリビングを立ち上げたのには、いくつかの理由がある

22歳から寝具業界で働き、営業の魅力や寝具の大切さを凄く痛感した。

営業の契約が取れた時の達成感は、何事にも代えがたい喜びがある。

何年やっていても変わらない最高の喜びと達成感!素晴らしい仕事に出会えた。

その大好きな仕事を、ずっと同じ店で一緒にやってきた唯一の存在が、寺。

ちなみに寺とは、小野寺のあだ名だが、お寺から沢山契約を取ったから寺、小野寺だから寺、と2つの節がある。まぁどっちでもいいですが!笑

そんな彼とは月日を重ねて一緒に働いていくうちに、お互い分かり合いかけがえの無い存在になっていった。

当時、僕の働いていた頃の営業の世界は年功序列男女の差別無し、結果が全て!

僕は入社当初から頭角を表し、27歳で一関支店の責任者になった。

当時の部下は、殆どが僕が入社した頃の先輩達だったが、みんな若僧で生意気な俺について来てくれた。

特に大津さん、寺さんは、俺が店長になった事を喜び、普段仲が悪い2人なのに、2人で飲みに行き、何があっても店長について行き、必ず男にすると誓い合ったそうだ。

大津さんには、大津って呼んでください店長!っと言う言葉が今でも耳に残っている。

この大津も、滅多に人をリスペクトする人じゃなかった。

見た目もめちゃくちゃ怖くて 笑

寺は、真っ直ぐで不器用で、馬鹿正直で、裏表のない人。

そして滅多に誰かを認めたりリスペクトする事はない。

そんな寺、大津に、店長には何があってもついて行きますっ!て、いつも言われた。

何でそんなに、俺なんかにって思っていて、寺に聞いたら、信用できる人間だからと言われた。

その言葉が自信になったし、ありがたかった。

上司になる人はさまざまなタイプがある

上辺だけで好かれたい一心で肝心な事を言えない人

自分の役職や立場を利用して、部下を支配する人 

俺はどちらにも当てはまらない

素の自分で思ったままの感情で仕事をしていた。

怒る時は誰だろうが、怒ったし、頑張った人には頑張ったな!って!

もともと役職とかに興味がなかったし、自分は自分で自分の給料を稼ぐ!

部下に稼がせる!自分も稼ぐ!

今もそのスタイルは変わらない

そんな頼もしい部下、寺と大津との別れがあった…

僕が29歳の時に、お世話になった社長が引退し、各店舗を、当時の常務、本部長達へと譲渡し、新しい会社となった。

もちろん、会社都合で会社が変わり社長が変わるのもあり、15人いた一関支店のメンバーは、5人となった。

正直、不安だった…

その時も、寺、大津に、店長がいるから大丈夫、

俺達がんばりますからと、心強い言葉をもらった

そして5人でスタートした新会社は、2年で20人までに拡大していった

2年が過ぎた2月、当時の社長から、来月からまた新人が3人入社するから、

小野寺、大津は切るからなと伝えられた…

寺と大津、新会社スタート5人の時のメンバー、信じられなかった…

必死に止めた

じゃあ条件がある、この売上をクリアしたら残しても良いと言われた

そしてその数字を作ってやる事はできず、寺と大津は退社していった…

3月、新たなメンバーが入社し、売上は上がった

だから当時の社長を批判するつもりもないし、経営者として売上が上がったのだから当然の判断だったのかもしれない。

だが俺は、寺、大津が去り、仕事をしていても、何処か違和感があった。

自分だけ、のうのうと仕事をしていて良いのか

寺と大津を守ってやれなかった。

そんな事を考えながら仕事をしていた。

彼らが去り3月、売上も給料も上がったが、俺はやっぱり自分の気持ちに嘘はつけない

3月末、まだ何も考えていない時、当時の社長へ辞表を出した。

ビックリした顔で、どうした、何かあったのかと

30歳すぎたので何か別な事にチャレンジしようと思いますと伝えた。

そして、辞めて何するんだと聞かれた。

この時は本当に何も考えずに辞表を出しに行ったので、とっさに車屋でもやろうかと思っていますと答えた。

また後で話し合おうと言われ帰ってきた。

帰り道、寺に電話した。

仕事決まったか〜?と寺へ聞いた

職安行っても、この年だとなかなか無くて、まだです。

久々に飲み行くかと寺を誘い2人で飲みに行った

そして、今日、辞表出したよ!と伝えた。

ビックリした顔で寺は、何でですか?と

寺と大津を守ってやれなかった、俺の責任だと思うと話した。

寺が泣いた、自分も無職になり今どうしたらいいか分からないと

また店長と働きたい、この歳になって他の仕事はできないと…

この時初めて俺は、独立、立ち上げを決意した

そして4月、当時の社長には高待遇を提案されたが、自分は意志が固く断った。

大半の人ならば、待遇も良く給料も更に高くなるのに、辞めないだろう。

この時の僕の決断は、100人聞いたら100人がなんで? もったいないよと言ってくると思う。

美談に聞こえるかもしれないが、僕はお金より一緒に働きたい人を選んだ。

そして残り1ヶ月間、お世話になった会社である事に変わりはないので、全力で仕事した。

自分が誘い会社に入れていた上田には、4月上旬に話した。

そうしたら、店長辞めるんだったら自分も辞めると言ってきた。

そして、当時新人の高橋へは、4月中旬頃に、俺、今月いっぱいだけど、お前は必ず売れるから頑張れよと話した。

俺は、寺とやるつもりでいたが、上田も一緒にやると言い、

そして、高橋、俺も連れてってくださいと。

もちろん、みんなには、何の保証もなく、全てない所からのスタートだよと話した。

みんな、分かってますと。

そして店長なら絶対大丈夫だと。

そして、この時、自分も不安などなく、自信しかなかった。

その当時在籍していた会社も20人以上になり、業績も伸びていたので、

俺が抜けても大丈夫だと思っていたし、一緒に着いてくると言ってくれた上田、高橋と共に4月で退社した。

そして平成21年5月1日 はなまるリビング創立

これが、はなまるリビング立ち上げ秘話!

4人でまさにゼロからのスタート!

令和4年3月の今、従業員30名の会社へ成長し、仲間意識の高い、チームワーク抜群の働きやすい素晴らしい企業へと成長している!

俺、寺、高橋、上田、4人でテーブル一つから始まった思い出は、一生の財産!

これからも、大好きな社員達と共に、更なる発展へ頑張って行きます!!

ではまた!

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