誰しも人生の分岐点がある
僕の人生の最初の分岐点は中学3年の時
何処の高校へ進学するか、みんなも迷った経験があると思う。
僕が当時の担任の先生に進路を伝えたのが、
ブラジル!
何故かと言うと、キングカズこと三浦知良さんに憧れていて、
当時、Jリーグがなく、サッカーをテレビ中継するのは、元旦の天皇杯決勝くらいで、
その頃の決勝が毎年、読売クラブ対日産自動車
その読売クラブに、ブラジル帰りのカズさんが入団し、カズが帰って来たっ!てCMが沢山流れていた。
そしてカズさんの特集を、テレビで見た。
静岡学園を1年で中退し単身ブラジルへ行き、当時ワールドカップにも出た事のない日本から、プロサッカー選手を目指してきた日本人って事で、
カズさんは、沢山の嫌がらせやイジメにあいながらも、名門サントスとプロ契約を勝ち取るサクセスストーリー
日本にいた頃のカズさんは、小学生、中学生の頃も選抜チームなどに選ばれた事がない、普通のサッカー少年だったそうで、
特に優れていた訳ではなかった人が、努力と根性で、夢を勝ち取るサクセスストーリーに、僕は今までにない刺激を受けた
カズさんのようになりたい
僕が初めて持った夢だった
そして中学3年の僕はすぐに行動にでる
父と母に、高校は行かずに、ブラジルに行ってサッカー選手になる、カズさんのようになりたいと伝えた
答えは、分かった、頑張って来い!だった。
うちの両親、普通の親とはちょいと違うので!笑
普通なら、高校くらいは出ておきなさい!って言うと思うけどね!
当時のサッカーマガジンに、カズさんの父が、日本からのサッカー留学希望者募集を出していた。
僕はすぐに応募ハガキを出し、受け入れの返事がきて、留学までの流れや費用などを母が聞いてくれて、ブラジル行きへ進んで行った。
そして進路を決める三者面談へ、母と行った
担任の先生に、ブラジル行ってプロのサッカー選手になりますって言った
目指しますではなく、あえてなりますって言った!
もちろん、先生は高校へは行きなさいと言ってきた。
高校出てからでいいじゃないかと。
それじゃ遅いのでと言ったが、先生は高校へ行けと折れなかった。
この担任の先生との出会いは、僕にとっての大きな分岐点だった
当時の僕のクラスは、学年一の問題児クラスだった。
当時、中学2年に上がる時にクラスの先生が決まり、2年、3年と担任が変わらない事になっていた
問題児の集まりの俺のクラスの担任になった先生は、伊藤先生、男の先生で生活指導の先生だった。
最初は、やだなぁ…最悪なのが担任になったと思った
担任になってすぐに、僕と伊藤先生は何度もぶつかった
だが、時を重ねて行くと共に分かり合えた
今までの担任なら、最初は一応先生だから注意はするが、反抗すれば後は見て見ぬふり
伊藤先生は、何処までも着いてきて、最後はサシで話す、解決するまで話す先生だった
3年の時には、もう信頼していた
嫌だと思っていた伊藤先生は、一番信用できる好きな先生になっていた
体育祭で応援賞を受賞した時にも、お前が応援団長だから必ず取れると思っていたと言われた時、
伊藤先生が喜ぶ顔がみたくて頑張った気がした。
その分かち合えた伊藤先生と、進路で久しぶりにぶつかった
三者面談から3日後くらいから、毎日生徒指導室に呼ばれ、高校進学を説得された。
じゃ、盛商受けますって言ったら、無理だって言われたなぁ〜笑
そしてもう一つ伊藤先生から相談され、頼まれた事があった。
同じく、クラスメイトでサッカー部の、ターボことタカヒロの事だった。
遠野高校は受験するけど、私立は受けないと言ってたみたいで、
先生は遠野高校はお前の点数なら無理だと伝えたらしいのだが、
落ちたら大工になるって言い、言うことを聞かないと。
だからお前が説得しろと、そしてお前もタカヒロも一関学院受験しろと言われた。
僕も考え悩んだが、カズさんも高校中退してからブラジル行ってるから、とりあえず高校受験は受けようと決めた。単純だなぁ…
そして、タカヒロに俺も一関学院受けるからお前も受けろよって説得し、タカヒロも分かったと言ってくれた。
結果、タカヒロも見事に遠野高校を不合格、俺とタカヒロどっちも一関学院へ進学!!笑
今思い返しても、一関学院に進学して良かったと思っている。
かけがえのない沢山の友人ができ、そのおかげで今の自分がある!
伊藤先生が担任だった事に感謝!
人生の分岐点の思い出でした。
そして、最後に僕が伝えたい事もう一つ
僕はビジュアルでも、カズさんに影響を受け、髪型も尊敬するカズさんを意識している。
でも顔の輪郭や作りで、長渕剛好きですよねって 良く言われる 笑
長渕剛さんも大好きで、長渕さんの歌も歌いますが、意識してるのは、キングカズさんです。
今日は長くなりました。
最後まで読んでいただいた方、ありがとう!
ではまた!

